上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ウルトラマンティガファンの皆様は、「オビコをみた!」のエピソードを覚えているだろうか?
都市開発に居場所を奪われつつある妖怪オビコの話だが、なかなかに面白くやがて哀しき名作でした。

オビコが人間を驚かせようと悪さをして、都市伝説になりかけているというのが冒頭部分だったが、
さて、しかし、この記事はオビコのストーリーについての話ではありません。

その冒頭部分で劇中のラジオでオビコのうわさ話が流れる。
このラジオのDJがいかにもそれらしい語り口で、リアリティを増すのに貢献していた。
その劇中放送の最後に「桑田真紀でした」でしたと名乗るのですが、
さて、この桑田真紀さん。架空のDJではなく、実在の人物。
当時、横浜のFMで人気番組「The Voice」をやっていた方です。

ふと、気になってその語の「桑田真紀」さんのその後の10年の足取りをたどってみるとなかなかに興味深い。
実はこんな記事をみつけたんです。以下はそこからの情報。

人間というのは、どんなときにも何処へ行っても前向きに前進を続けることを忘れなければ、こんな風に人生を切り開けるのかとしみじみ感心した。

桑田真紀さん(現:吉田真紀さん)は、
立教大学文学部英米文学科卒業。通訳・翻訳業、マレーシア航空の広報担当を経て、ラジオDJに。このとき30歳。
ラジオDJを9年勤める。このときに「オビコを見た」に出演されたわけです。(おそらく、34,5歳のころ)
さて、その後の彼女ですが、1999年に日本を離れ、グアテマラ、サンカルロス大学語学研究所留学。同時に、グアテマラ初の日本人DJ(パーソナリティ)とグアテマラの英字新聞のコラムニストをされています。
そして、現地に赴任していたブラジル人国連職員と出会い、共にコソボに滞在した後、ニューヨークに転居。
ニューヨークで日本向けラジオ番組のDJを勤める。
2003年、シエラレオーネに転居し、通訳・コーディネーターとして、日本の取材陣に同行し内戦の傷跡をリポート。
ニューヨークに戻って来てご主人と別れ、幼い子どもを抱えて次の路を探す。国連の試験を受け2007年採用。
国連広報局(DPI)のメディア対応、
国連平和維持活動局(DPKO)ヨーロッパ、ラテンアメリカ地域の担当、
総会・会議管理局(DGACM)の儀典部門のリエゾン、
2008年7月に政務局勤務、と歴任されています。

ティガ当時、あのとき、誰がこんなことを想像したでしょう。
たった十年ちょいのできごとです。

リンク先のインタビューで、彼女はこう語っています。
「私は日本人を元気にしたいんです。日本人の価値観では「これはやっちゃダメ」とされているものも、世界ではOKなものもいっぱいある。考え方を柔軟にして、新しいもの、おもしろいものにたくさん出会ってほしいですね。今回のインタビューであえて私の年齢を強調してもらったのも、数字に縛られず、何歳になってもやりたいことをやってみよう、という意味で少し参考になればと思ったからなんです。

勇気を持って諦めずにぶつかってほしい。私は違法なことをしろとか、何かに逆らえと言っているわけではないんですが、例え上の人に否定されたことでも、もしかしたらいい形で物事が成り立つことがあるかもしれません。前例がないからダメだと言われてそれに従っていたとしたら、マザーテレサもいないわけです。自信と勇気と希望を持ってチャレンジしてほしい。たとえそれがうまくいかなかったとしても、そこから何かを学んで、また違う形で、次のステップにつなげていけばいいんです。」

センスオブワンダーとチャレンジですねえ。
1度きりの上、有限の時間しかない人生を如何にあるくか、いろいろ考えさせられました。
スポンサーサイト
円谷プロの親会社だったTYOのIR情報より「当社連結子会社である株式会社円谷プロダクション(以下「円谷」と言う。)株式のう ち、当社が所有する同社株式の全部をフィールズ株式会社(以下「フィールズ」と言う。)に譲渡す ることに関して、基本合意に至りましたが、平成 22 年3月 25 日開催の当社取締役会において、その 譲渡価額及び日程等が決定いたしましたので、下記の通りお知らせいたします。」
だそうです。

フィールズは、パチスロ、パチンコなどの機械の企画開発をメインにしたグループ企業
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。